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有名人と病気・胃がん・王貞治監督 その1



腹腔鏡下手術で胃がん全摘出、一日も早い現場復帰を願っています。

王貞治監督、早稲田実業のハンカチ王子・斉藤祐樹選手と同じ投手として活躍!!

数回に分けて、王貞治監督のご紹介をさせていただきます。

★王貞治
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

王 貞治 (おう さだはる、中国語ピン音: ワン・ジェンジー, 1940年5月20日(5月10日)- )は、東京都墨田区生まれのプロ野球選手・プロ野球監督。左投左打でポジションは内野手(一塁手)。国籍は中華民国 (台湾)。 通算本塁打数868本は2位のハンク・アーロンの755本をはるかに上回り、メジャーリーグ、日本プロ野球ともに現在も抜かれていない大記録であり、「世界の本塁打王」「世界の王」とも呼ばれる。その他も数々の記録を保持する、古今無双の大打者である。現役時代の背番号1は読売ジャイアンツの永久欠番である。 現在は福岡ソフトバンクホークス取締役副社長、ゼネラルマネージャー兼監督。ワールド・ベースボール・クラシック初代優勝監督でもある。 現役時代のニックネームは「ワンちゃん」。愛車はセルシオ。タレントの王理恵は次女。 また、台湾では英雄とされ人気も非常に高く、特に台湾野球人の間では憧れの的になっている。

■来歴・人物

★少年時代

東京都墨田区で中華民国籍(浙江省出身)の父・仕福、日本人(富山県氷見市出身)の母・登美(旧姓:当住)の間に生まれる。実は、5月10日に二卵性双生児の弟として出生したのであるが、取り上げられても泣かないほどの未熟児であったため両親が出生届の提出を遅らせたことから、5月20日が出生日とされている(家業の中華料理ラーメン店「五十番」が多忙のために届けが遅れたという説もある)。なお、双子の姉・広子は、1歳3ヶ月で死亡した。
父・仕福は貞治を電気技師にさせたかったようだ(父の仕福は兄の鉄城を医師にして、兄弟ともに母国中国に戻り働いてもらいたかった)が、区立本所中時代に、のちに指導を受ける荒川博(当時毎日オリオンズで活躍していた)に野球の素質を見出され、荒川の母校早稲田実業高等部に進学することになる。高校受験での第一志望先である都立墨田川に落ちた結果であった。荒川との最初の出会い(犬の散歩をしていた荒川が、通りすがりに王が出ていた少年野球の試合を見ていた)の際、当時右打ち(ちなみに右打ちだった理由は、兄が右打ちだったかららしい)だった王は荒川から試合中に「君は左利きなんだから、左で打ってみなさい」とアドバイスを受け、すぐに実践したところツーベースを打ち、その後左打ちとなった。
小学生のころ、当時の横綱・吉葉山から「相撲とりになりなさい」と勧められるほど相撲が強かった。そして本所中学校では陸上部と卓球部に在籍したことがある。野球部にも在籍していたが、グラウンドが使えなかったために休部同然の状態だった。
早稲田実時代は春の甲子園の優勝投手として活躍し、関東に初めて選抜優勝旗をもたらし人気を集めた。当時の王はノーワインドアップ投法を用いていた。しかし、当時の国籍規定のため、甲子園優勝投手にもかかわらず国体には出場できなかった。
温厚そうな人柄だが、早稲田実時代は、王貞治と言えば都内で一、二を争うケンカの猛者だった。



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この記事へのコメント
暮しと生活の自分コラムの管理人、ツンと申します。

この度は特進相互リンクを貼っていただきありがとうございました。

自分のブログではジャンルが定まっていませんが、いろいろと日々の出来事を綴っています。

相互リンクだけじゃなく、これからも是非宜しくお願いします。

ではまた。
暮しと生活の自分コラム
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