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有名人と病気・胃がん・王貞治監督 その3



腹腔鏡下手術で胃がん全摘出、一日も早い現場復帰を願っています。

王貞治監督、早稲田実業のハンカチ王子・斉藤祐樹選手と同じ投手として活躍!!

数回に分けて、王貞治監督のご紹介をさせていただきます。


■エピソード


★野球人として

実は阪神タイガースに入団を打診され、仮契約でほぼ決まりかけていた。当時の新聞にも「優勝した甲子園のマウンドでまた投げられて光栄です」とコメントしている。が、当時の東京-大阪は移動に時間も掛かり、契約書を持参した阪神球団関係者が王の実家を訪れた前日に読売巨人軍と契約していた。またこれと逆の事が田宮謙次郎入団の時におこっている。
背番号1については、中国語で「王」を「ワン」と発音することから、英語のoneにかけてつけられたという説もあるが、背番号そのものは、南村侑広の引退によってたまたま1が空いていたため、それをつけることになったというのが実情である。
長嶋茂雄とはチームの主力・顔として14年間の長きにわたり3・4番を務めて『ON砲』などと呼ばれ、2人で数多くのアベックホームランを放った(初のONアベックホームランは1959年6月25日、天覧試合となった後楽園での阪神戦。通算で106本(連発は29本)のONアベックアーチを放つ。106本目は長嶋の引退試合で放ったもの)。長嶋引退後も選手・監督として、王の引退後は監督同士、時には親友として、長く交友を続けている。また「尊敬する野球選手は?」という質問をされた際には、ハンク・アーロン、川上哲治とともに、必ず長嶋の名前を入れる。
「乱闘が起きてもベンチでただ一人手を洗っていた」という逸話を残すほど争いを好まない王が、唯一乱闘の口火を切ったのは1968年の対阪神戦(甲子園球場)。阪神・ジーン・バッキーから危険球を投げつけられ、バットを持ってバッキーのもとに詰め寄った(ただし王自身はバッキーとは仲は良く、「おいおい」とたしなめる程度のつもりであったという)。その後、打撃コーチ・荒川博がバッキーと乱闘して退場となった。さらに交代した権藤正利の投球が王の頭を直撃。その後、同僚の長嶋が権藤のボールをレフトスタンドに叩き込み、事実上の報復を果たした話は有名。なお、この事件で荒川と乱闘を演じたバッキーは指を骨折。投手生命を絶たれる原因となった。上記のように温厚な王ではあるが、門限を守らず、平気な顔で長電話に興ずる同僚の堀内恒夫に対して一度だけ鉄拳を振るったことがある。
足腰は非常に強く、一本足で立った状態で子供にぶら下がられてもびくともしなかった。しかし意外にも腕力は弱く、腕相撲は巨人で一番弱かったばかりか、女性にも負けることもあったという。
756号本塁打の表彰のために15万円分のカーネーションで飾られた表彰盾が送られる手はずとなっていたが、3日間ホームランが出なかったため製作していた花屋は45万円分のカーネーションを無駄にすることになった。どうやらボランティア製作だったようである。
この試合で、王は両親を後楽園球場に招待した。記録達成の瞬間同球場1塁側1階席で観戦していた両親の元に、記録達成を祝うファンから握手を求められた(その映像)他、先述のカーネーションのプレートを王から直々に両親に手渡す感動的な瞬間もあった。
通算846号の本塁打を打ったバットは、歌手の八代亜紀にプレゼントしている。これはイベントで知り合った八代が、語呂あわせで"やしろ"となる846号を打ったバットを欲しがった為である。このお礼に、八代は王に直筆の肖像画をプレゼントしている。
プロ通算打率は.301。実働20年を越えて3割を記録したのは他に張本勲しかいない大記録であるが、本人はこの維持を気にかけていたらしい。引退会見では「王貞治のバッティングができなくなった」としか述べなかったが、後に「頭になかったといえば嘘になる」とそれが引退の一因であることを明かしている(後日、自身の引退の理由について「陰毛に白髪ができて、潮時だと思った」ともコメントしている)。尚、張本は王の引退理由についてサンデーモーニングで「投手からの牽制球が年とともに恐怖感が増してきたから」と語っていた。
現役時代、日本シリーズで活躍しながらMVPを1度も受賞できなかったが、これは王が現役時代から日産自動車とのコマーシャル出演契約を結んでいた事もあり、日本シリーズMVPの賞品の自動車(トヨタ自動車協賛)を受賞し、新聞やテレビにその画像・写真を露出してしまうと契約違反になる恐れがあったものと思われる。また1971年の日本シリーズ第3戦、9回裏2アウト1・3塁の場面で阪急・山田久志から放ったサヨナラ3ランは自他ともに認める最高のホームランであったが、それでも日本シリーズMVPを手にすることは出来なかった。
現役時代より大スターであったにもかかわらず、非常にファンサービスに熱心であり、サインを断ったことは一度もないという。それゆえ現在もソフトバンクの選手にファンサービスを熱心に行なうよう指導しているという。ちなみに王本人は少年時代、巨人選手にサインを貰おうとするも、川上哲治などには見向きもされず、与那嶺要に貰えることができたそうで、その与那嶺の姿勢に王も倣っているという。ちなみに最近の王は、サインをする際に俺は今までサインを書きすぎてるから、ネットオークションに出したって1銭の価値も無いよと笑いながらサインをする。しかし、そうした王の努力とは裏腹に、市販されていたサインボール等には代理店の職員が書いたものも多く含まれていたといい、元職員が週刊文春誌上で王・長嶋のサインボールを多く書かされたと激白した事がある。
ほとんど知られていないが、犠牲フライの日本シリーズ記録を保有している。
通算敬遠427の中にランナー無しでの敬遠が13回含まれる(さすがに満塁では無い)。初回ランナー無しでの敬遠もあり、理解の範疇を超えている。本人は「相手にそれだけ怖がられているんだろうと、むしろ誇りに似たものがあふれてきた」と語っている。イニング別では1回が一番多い。
通算四球も2390個で2位に1000個近くの差をつけてダントツの1位である。四球の数が影響して通算本塁打率10.7や通算OPS1.080も不滅の記録として残っている。
「空白の一日事件」で巨人に入団してきた江川卓に対して「キャンプで彼と同部屋になることは断固拒否する」「江川の代わりに阪神に行く小林繁はトレードマネーとして1億でも2億でももらったらいい」や、食堂にいた江川に対して「嫌な奴がメシ食ってる」と発言したとされ、物議をかもしたことがある。王の曲がったことを許せない性格故のこととも言えるが、王の監督在任中の1987年に江川が引退したことは、これらの王の発言に対する江川の報復であると考えるファンもいる。
1996年3月30日の開幕戦は千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ戦。この年ロッテの監督に就任した江尻亮は、前年園川一美がダイエー戦で4勝1敗と相性がよかったこと、またダイエー戦の後に西武ライオンズ戦が控えていたことから、最有力候補だったエース伊良部秀輝ではなく園川を開幕投手に指名した。開幕戦前日にこのことを知った王は「開幕投手には格というものがあるだろう」と激怒。ところが開幕戦では園川を5回途中で降板に追い込んだもののその時点でチームは2-5とリードされており(最終的に4-6で敗戦)、王のこの発言も「負け犬の遠吠え」で片付けられてしまった。
常人離れした自己抑制心の持ち主で、現役時代は毎年シーズン前に不安を抑えるためタバコを吸い、シーズンが始まるとタバコを止めるという事を繰り返した。
日本では王よりも長嶋の方が人気があるが、アメリカでは立場が逆転する。ベーブ・ルース、ハンク・アーロンより多い868本の本塁打を打ったことが大きく、「サダハル・オー」の名は全米に轟いている。第1回 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)世界大会では観客から日本チームの誰よりも大きな拍手と声援で迎えられ、日米野球ではメジャーリーグの選手からサインをせがまれるほどである。実際に、2005年ソフトバンクでプレーしたトニー・バティスタ経由で、サミー・ソーサやミゲル・テハダが王のサインボールを手に入れている。
「世界のホームラン王」として世界中の野球人から尊敬される『生きる伝説』王貞治の登場が、WBCの大会価値を大いに向上させた点も見逃すことはできない。またこのWBC優勝により、福留孝介の代打起用やイチローを中心とするスモール・ベースボールなどの采配、「世界の王」としてのチームのモチベーションへの影響力などが改めて見直され、メディアもこれらを大々的に報じ、2度の日本一の時以上に監督としての王の名が世間に知れ渡ることとなった。さらに日本を世界一に導いたことで、「世界の王」という名称が今まで以上に使われるようになった。しかしながら本人は「世界の王」と呼ばれることは、あまり好きでないとインタビューで話している。
優勝の際の胴上げで舞う姿は、手足を指先まで伸ばし、非常に美しいことも有名。『ザ!鉄腕!DASH!!』で胴上げに関する企画を行う際、その年の日本一になったこともあり、理想の「上げられ側」のモデルとされた。ホークスでは鷹の羽ばたきを意識してか両腕を横に広げることが多いが、WBCではオーソドックスに上の方に伸ばしていた。


★人物・プライベート

真摯で誠実な人柄でも知られ、夫人の葬儀に参列した全ての人物に直接電話し感謝の言葉を述べたという。
庶民的感覚も持ち合わせており、外食に行く際、連れ合いが高級な店を薦めても「俺は中華料理屋(もしくはラーメン屋)の倅だから」と大衆的な店にふらりと立ち寄るらしい。ちなみにその口癖は、胃がん手術後の退院会見にて「胃がなくなり消化できないのでしばらく食べられない」という意味でも使われ、周囲を笑わせた。
非常に大食い。子供の頃はおやつ代わりにラーメンやカレーを平らげ、夕食を食べた後もうどんを平らげていた。大人になってもそれは変わらず、中華料理屋でも出てきた料理を片っ端から平らげる。そのため、誰も隣に座りたがらなかったという。さらに酒豪でもあり、若い頃は毎晩のように銀座の高級クラブに繰り出し、浴びるように酒を飲んでいた。飲み比べをして勝てなかったのは横綱の大鵬だけという。第1回 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)世界大会の優勝時には、部屋にあったビールを全部1人で飲み乾してしまった程である。
妻へのプロポーズの言葉は「ドドンパはお好きですか?」だったという。
家ではかなりの亭主関白だったらしく、本当に家の仕事は全く何もしなかったという。屋根の修理さえも妻の仕事。また礼儀作法に厳しく、娘たちが自分の言った事に対して口答えをすると容赦なく鉄拳を振るい、鼻血が出るまで殴っていたこともあるという。
3人の娘にはすべて「理」と付く名前をつけた。これは、いずれ嫁に行き、姓が変わってしまう娘だが、王の娘としていてほしい、里は王家だ、という切ない願いをこめて「里」に「王」の偏をつけた「理」とした。
三女が産まれた時に、王は男の子が欲しかったが、また女の子だったので舌打ちをしてしまい夫人に怒られた(ちなみに当時は「男の子=ストライク、女の子=ボール」と考える野球選手が多く、稲尾和久や張本勲もこのような話をしている)。
長女が年頃になったときに性教育を教えないといけないと思った王は、長女の前で全裸になって変態扱いされている。
次女の理恵が「ふくらはぎが太いのは、お父様のせいだ!」と王にやつ当たりしている。この事から王は、娘にお父様と呼ばせている事が判明した。
現役時代、独学でピアノを習い、試合前に自宅で精神集中のためによくピアノを演奏していた。しかし、本当の理由は王自身が"大スター"になってしまったために、王の利益等を目当てに取り付く取巻き等を近づけさせないためで、本当はアウトドア派である。そのため、王本人はピアノを趣味だと思われるのは嫌らしい。しかしながら現在も時々ピアノを弾くようである。
父が中国大陸出身で中華民国国籍であり、現在の中華民国(台湾)とは直接的な繫がりは無い。だが、「父の無言の遺言」として中華民国国籍を貫き、現在の中華人民共和国とは一線を引いている。台湾独立派支持の態度を取っており、中華人民共和国がホームラン世界記録を更新した王に国民栄誉賞を与えようとした所、王はこれを拒否した。
父親は大陸からひとりで日本に渡って来た天涯孤独に近い境遇で、また戦時中は敵国人でもあったため、母方の親族から正式な結婚を許してもらえなかった。そのため終戦後に晴れて入籍するまでは、王とその兄弟は母親の私生児として当住姓を名乗り、日本国籍を保有していた。
東京在住時には料理を全くしなかった王だが、単身赴任となった現在では魚を3枚に下ろせるほどの腕前らしい。生家が中華料理屋であったので元々ある程度の料理は習得していたという説もある。またパソコンも使いこなし、WBC期間中はソフトバンクのオープン戦の動画をアメリカで見たり、またタッチタイピングもできるとの事。
現役・監督時代を通じ数々の表彰を受けてきたが、そこで頂いたものは人にあげたり寄贈したりすることが多く、家にはそれに関するものはほとんど残っていないらしい(長嶋茂雄も同じ)。
律儀な性格で、ファンレターや年賀状の返事は必ず書いていた。キャンプ地に持ち込んだ葉書や便箋の量は、数万通とも言われている。
球界を代表する人格者であるところは疑う余地は無いが、酒豪で若い頃には門限破りの常連で、夜な夜な銀座や赤坂のクラブ通いをした時期もあった。王自身も後に、「高校出立ての体力でお金があって、綺麗なシャンデリア、美しい女性、おかしくならないわけ無いじゃないですか。」と後に述懐している。ただし、荒川コーチに酒、タバコを禁止されてからは、完全に改心している。
長年巨人の寮長として活躍した武宮敏明によると、歴代の3ワルは王、柴田勲、堀内恒夫との事。3人とも名球会入りしている。堀内がやはり若い頃に夜遊びが盛んだったのを王が咎め、泣きながら堀内に鉄拳制裁を加えたのは有名なエピソードでもある。
好奇心が非常に旺盛。よくメモを取る。自宅にいても気が付いたことは必ずメモする。また、ウインドーショッピングが大好き。「何にでも興味を持たないと」とは本人談。
政治家の二階俊博とは知人である。
現役時代にレコード「白いボール」をリリースしたが、ローズとカブレラの敬遠騒動の際にこれの歌詞を継ぎ接ぎでつなぎ合わせた「敬遠のボール」なるフラッシュが作られた。
大橋巨泉とも仲が良く、リタイアしてカナダでの居住生活を勧められていたが、福岡で監督業の仕事が入り、実現できずに現在に至る。
作家・山口瞳と夜の街で呑む際、「俺が行くとみんな俺がカネ持ってると思って高いものばっかり出すんだ」と、自慢に聞こえるように言っており、山口も最初はムッとしたが、後で王の優しさを感じ取った。


★その他

1981年から1993年の13年間、毎年朝日放送製作(自らの個人事務所・オフィスフラミンゴ協力)で、正月に「新春ビッグ放談」と題した対談番組のホストを担当した。(途中1989年だけ王自身は巨人監督を辞任関係などから出演せず)毎年スポーツ界を代表する選手との対談を実施。最終年の1993年は当時巨人監督に復帰した長嶋茂雄とのON対談が実現した。
2003年夏にフジテレビ系バラエティ番組『ワンナイR&R』の中で王監督に対する侮辱的シーン(コント「ジャパネットはかた」にて、“王シュレット”という王監督の顔を模った洗浄便座を紹介)が放送され当時のダイエーサイドが抗議し、それ以降フジテレビ系列(福岡地区ローカル以外)でのホークス戦の放送を自粛していたが、2005年5月17日のソフトバンク対巨人戦から解禁された。
監督時、シーズン終盤において、自らの年間本塁打記録に迫る打者(1985年〔阪神・ランディ・バース〕、2001年〔近鉄・タフィ・ローズ〕、2002年〔西武・アレックス・カブレラ〕)への敬遠を黙認した。この事により、一部の野球ファンからは「敬遠の王」と揶揄される事もある。なおローズは試合前に王を表敬訪問して「シックスティホームランOK?」と声をかけられている。しかし、2001年のタフィ・ローズの件は、元は当時ホークスのバッテリーコーチだった若菜嘉晴が指示したものであると若菜自身が公言したこともあり、一概に王を非難することはできない。



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