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坂上二郎さん、2004年、脳梗塞で長期入院したが芸能活動復帰!その1



コント55号 萩本欽一 坂上二郎
懐かしいと思うは?年かな?
坂上二郎さん、2004年、脳梗塞で長期入院したが芸能活動復帰!


坂上二郎

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

坂上 二郎(さかがみ じろう、男性、1934年4月16日 - )、は、日本のコメディアン、俳優、歌手。鹿児島県鹿児島市出身。浅井企画所属。通称「二郎さん」。


■プロフィール

★コメディアンデビュー

中学校卒業後、鹿児島市内の百貨店に勤務、1953年、NHKのど自慢コンクールで鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京。歌手の付き人や専属司会者を経て、獅子てんや・瀬戸わんや門下となり、漫才コンビ「安藤ロック・ロール」を結成。解散後、「安藤ロール」の名のままストリップ劇場・「浅草フランス座」のコメディアンとなり、阿部昇治に師事。幕間コントで萩本欽一と共演した。


コント55号

キャバレーの営業等で食いつないでいた1966年、萩本欽一と再会し、お笑いコンビ「コント55号」を結成。始めは歌手を目指したがさっぱり売れず、諦めかけて大型免許を取って転職しようとした矢先、たまたま萩本欽一に電話をかけたのが55号に繋がった。もともと即席コンビだったのが、浅草松竹演芸場・日本劇場等で人気を博し、演芸ブームに乗ってテレビに引っ張りだことなり、再度芸能界で活躍するようになった。
コント55号ではツッコミ担当で、萩本の「タレ目」に対して「チッコイ目」で売った。「飛びます、飛びます」や「コタローね」といったギャグで人気を集める。
また、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」では下ネタを嫌う萩本に対し、率先して汚れ役を引き受け、アイドル歌手やグラビアタレント相手に野球拳を行った。

★俳優

コント55号として活動中の1972〜1973年頃より、俳優としても活動することになり、1976年のコンビとしての活動中断以降は本格的にテレビドラマ、映画、舞台などで活躍。2004年、脳梗塞で長期入院したが芸能活動復帰。

★歌手

コメディアン、俳優と平行して念願の歌手としても活動。「風まかせ 新・諸国漫遊記」テーマソングとなる「風まかせ」や、ユニコーンとのコラボレーションである「デーゲーム」などを歌う。独特の節回しで知られる。

★現在

2005年4月21日に、歌手としては5年ぶりの新曲CD「必殺!人生送りバント/飛びます音頭」を発売した。「必殺! - 」は、坂上の波瀾万丈の半生を題材に、さだまさしが作詞・作曲を手掛けた。2005年6月4日には、栃木県那須塩原市にお笑い芸人の育成学校『那須お笑い学校』を開校、名誉校長に就任した。2006年5月6日、鹿児島ホワイトウェーブの総監督に就任。背番号は茨城ゴールデンゴールズの萩本欽一と同じ55。



| コメント(1) | TB(0) | 有名人と大腸がん等>直腸がん・癌・病気
この記事へのコメント
こんにちは。ぽぷりと申します。
相互リンクのお礼に伺いました。
ありがとうございました。
坂上二郎さん、復帰なさったんですね〜。
欽ちゃん同様頑張って欲しいです。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
ぽぷり
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